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2014/01/29
時計台って 結構 札幌の中心部にあるので よく通りますが
一体何?
建設当初は大時計を設置せず、鐘楼に工部省東京工場製の鐘が吊るされていた。綱を引いて鐘を鳴らす仕組みだったが、時報の正確性に欠くことや振動により実験に支障をきたすことから、開拓長官であった黒田清隆のもと、1881年(明治14年)6月に塔部分を新築し、ハワード製の時打重錘振子式四面時計(製造番号738)が設置された。同年8月12日、正式に鐘を鳴らし始めたこの時計は、重りの力を利用した振り子式で、4日に一度は運用針と打鐘用の2つの重りを吊るしたワイヤーを、ハンドルを使い人力で巻き上げねばならないが、重さはそれぞれ50kgと150kgにもなる上、機械に負担が掛からないよう2時間ほど掛けてゆっくりと巻き上げる必要があり、かなりの労力を要する。今でこそ大切に管理されているが、かつては時計台の価値が十分に理解されず故障しても放置されていた時代があった。1933年(昭和8年)、時計台の100m北で時計店を営んでいた井上清は、長期間止まったままになっている時計のことが気になり、市に修理を申し出たが予算不足を理由に断られた。そのため井上はボランティアで保守整備を行うことを決意し、作業を始めた。1か月の時間を要し、錆(さび)を取り、部品を丁寧に分解修理し、時計の機能を回復させた。井上はほぼ毎日時計台に通い、長年に渡り重りの巻上げを含む時計の保守管理を続けたが、1982年(昭和57年)に息子の和雄(1947年〈昭和22年〉から父の時計店で働いていた)が市の非常勤職員に採用され、清の仕事を引き継いだ。2009年(平成21年)からは和雄の指導を受けた札幌市友会(市職員OBによる一般社団法人)の専任職員が保守管理を行っている[5]。なお、2014年(平成26年)からはエムエムエスマンションマネージメントサービスが指定管理者となる予定である[1]。
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